「エゴ」という言葉は、私の人生を通して、その意味合いが常に変化しています。
昔は、横柄で権力があるということだと思っていました。そして、私には「エゴ」がない、とも思っていました。それまでの人生で、私という人間が、他の人よりも優れてると思ったことも無かったし、実際に他の人に対して、権力をかざしたこともなかったからです。
この考えが「エゴ」そのものだと気づけたのは、私にとって大きな目覚めでした。「自分にはエゴがない」と信じることが、私自身を盲目にさせ、人生をありのままに、存分に味わうことを防いでいたのです。
「エゴ」は、私の心に疑問を投げかける、頭の中に流れる小さな声です。
「X(辛い経験を挿入)になるから、それはしないほうがいいよ」と教えてくれる、理性的な友達とも言えるでしょう。「何かしら上手くいかなくて、あなたが傷つくことになるから辞めときな」- そう言って、私を守ろうとします。
20代の頃は、この声は私の母の声だと思っていました。私の母は、良い母親として、この世の非情さから私を守ってくれていました。とても強く、自立していて、賢く、狙った獲物は逃さない。そんなパワフルな母を、私はとても尊敬しています。
私は母から、自分自身の為になる目標の立て方、そしてそれらの達成の仕方と一緒に、「成功とは何か」を教えられました。これは、「彼女にとっての」成功、にはなりますが。
話を1991年に戻しましょう。
私の母がちょうど今の私の年齢だった頃、母は祖国を離れ、未知の国アメリカに2人の子供を抱えて移住しました。仕事もなければ、英語も一言も喋れない状態で、です。生き残る上で、たくさんのハンディを持っていたのです。
一番大きな壁は、経済的に安定して、食卓に食べ物を出せるようになること、つまりはお給料の良い仕事に就くこと。もちろん、彼女が一人の人間として、生きる意味を考えたり、夢を思い描く余裕なんて全くありませんでした。そして、自然と、我が子に成功する機会を与えること、自分よりも人生でより多くのものを手に入れられるようにすることが、彼女の夢となっていったようです。
このような移民の家庭で育ったことで、私自身もこの「サバイバル精神」を受け継ぎました。これが私の成功の定義となっただけでなく、私の人生に対するアプローチそのものにもなりました。そして、気づいたら私自身も「人生で本当に望むもの」という質問に対して、答えが出なくなってしまったんです。
心が求めていることや喜びをもたらすもの、または、経済的に安定する道。この2つの方向性の分岐点に、私はこれまで何度も直面しました。
大体の場合は、後者に惹かれます。例えそれが平坦な道でなかったとしても、最後には金の入った壺が待っていてくれている。終わりが見えている、というのは、安心感をもたらしてくれます。この開かれた道には、母も立っています。私のことを誇りに思って、友達に自慢したりなんかして、とても嬉しそうです。
もう一方の道は、暗く先が見えません。予測不可能で、未知な、ただただ真っ白の空間です。先が見えない状況で、どうやって二つの道を比べて、選べっていうの?それに、この暗く未知な道を選んで、お母さんが私を誇りに思ってくれない、幸せにならないと決めつけることも、よく考えたらおかしいなことかもしれない・・・
私はどうやら長い間、母の愛や誇りを、私が仕事で成功し、母の期待を超えて母の夢を叶えることで得られるものだと思い込み、自分自身の夢を創造することを放棄していたようです。この生き方は、とても名誉なものだと思っていたけれど、実は、「私が私であること」から逃げていただけかもしれない、ということに気付きました。
という訳で、私はまたしても分岐点に立っています。
自分にとって「正しい」道はどちらか。私のエゴは、プロコン(利点と不利点)リストをつくり、論理的に一方の「正しい」道を正当化します。このやり方は、私がこれまでずっと、どんな選択をする際にも行ってきたことで、私の今の人生をつくった方法でもあります。
でも、今のなら、今後の人生を変える力を持っているのも私、ということが紛れもない事実。選択の仕方を変えて、道の途中で進む方向を変えることは、いつだって可能なのです。
それは、アウェアネス(意識)からはじまります。
まず私がすべきなのは、エゴの声を認識すること。その為には、「聴く」練習が必要です。毎日1時間瞑想をしなきゃ、という訳ではなく、何もしない時間を持つことから始めてもいい。日々たくさんのアクティビティをスケジュールに詰め込んでいるけれど、それらは私が自分の心の声に意識を傾け、エゴから距離を取ることの妨げになっていたかもしれません。
もし、私が心から望む人生を歩むことが意識から始まるのなら、もっと様々なことに「NO」を言うと同時に、何もないスペースを持つことに対して「YES」を言う機会を徹底的に増やすこと。
これがきっと今私がもっと積極的に取り組むべき、単純だけど、とっても強力な習慣だと感じています。