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PART 2. サラリーマンを辞める 正社員ではない働き方で積んだキャリア

一般社団法人「全国料理教室協会」は、料理教室を始める主婦にとっては集客に役立てたりビジネスに挑戦したりできる場として、企業にとっては教室を通して商品のPRを全国にできる場として機能しています。このような仕組みを作るに至った経緯や運営していくノウハウについて、協会を立ち上げた精進料理研究家の麻生怜菜さんに伺いました。

妊活と両立するため働き方を変えた

前回、正社員を辞めて業務委託という働き方に移行したというお話を伺いました。何か目的があったのですか。

結婚後に転職したクックパッドを辞めた後、正社員という働き方自体を諦めました。ちょうど、その頃に妊活を始めたのがきっかけです。今の不妊治療は、病院に行かなくても家で自己注射ができるなど便利になりましたが、私の時代は週に2~3回通院しなくてはいけなくて、月曜から金曜まで正社員としてがちがちで働くのは無理でした。病院に行くと午前中がつぶれてしまう、といった具合です。会社勤めをしながら妊活を本気でやるのは難しいと思い、「成果でお金をいただく業務委託にするぞ」と決めて、すっぱり辞めました。給料を固定でいただいているのに、「全休がほしい」とかいきなり「行けません」とか言いづらいですからね。そこから、業務委託という働き方にしました。優先順位の問題です。

妊活中の女性に話を伺うと、「妊活自体をオープンにしていないので仕事で休みを取りづらい」「辞めてパートになった」という方がよくいらっしゃいます。妊活のためにキャリアを変えていくことは、旦那さんとよく相談して決められたのですか。

そこまで深く相談はしなかったと思います。「私、会社辞めて妊活しようと思うんだよね」と話したときに反対されなかったので、くらいです。3年ちょっとは、妊活をしながら、いただいた業務委託をちょこちょここなすという生活です。当時は、子どもは1人だろうと思っていたので、出産後は大学の講師を引き受けたり、出版したりと、仕事を増やしつつ子育てをしていました。その後、もう一人頑張ってみようかなと再び妊活に踏み出せたのは、時間を自由にコントロールできる働き方で軌道にのってきたからと、旦那さんが特に反対もしなかったからだと思います。

 

会社が買収される 社団法人での経営を選択

全国料理教室協会を作ったのはいつ頃ですか。

協会を一般社団法人という今の形にしたのは2018年ですが、その数年前に、当時流行っていたシリコンスチーマーの会社から「自社製品を使ったお料理ができる先生を育成してほしい」と依頼され、講師育成のための会社を作りました。広告宣伝費としてテキストを作ったり、講師育成のための会場を借りたりと運営一式をまかなっていましたが、出資してくださっていた会社が、別の会社に買収されてしまったんです。資金源が絶たれ、運営ができなくなったので、所属していた先生たちが空中分解してしまいました。登録講師は全国に約80人いましたし、せっかく先生たちを育てたのにどうしようと悩みました。講師養成講座の講習費もいただいて、認定講師になってもらったのに、「買収されたからおしまいです」と言うのは申し訳ないという気持ちが大きかったです。皆さんが「つながれる何かがあったらいいな」とおっしゃっていたので、そのまま協会を「ファンクッキングラボ」と名称を変えて任意団体として、料理教室の先生を育てる団体に移行しました。3年くらいで登録する先生の人数が増えてきたので、一般社団法人にして「全国料理教室協会」という今の形にしました。

会社の買収を経験されたのですね。紆余曲折あって今の協会がある。

そうです。当時作った株式会社は1つ潰してしまいました。だからファンクッキングラボに移行するとき、特定の企業さんの中に入るのは、一旦やめようと思い任意団体を選びました。大きくなって全国料理教室協会にしたときも、株式ではなく社団という形を選びました。

 

資格を活かして養成講座を構築

株式会社を作られたとき、全国展開のノウハウはシリコンスチーマーの会社側がアドバイスをしていたのですか。

特にアドバイスはなく、自由に作らせてくださいました。当時は考える時間もたっぷりあったので、講座をするにはまずテキストが必要だということで、テキストを作りました。概要を決めて、原稿に落とし込んでの作業を経て1カ月ほどで完成しました。次にテキストを教えるための養成講座を組み立てて、全国で先生を募集するという流れです。その講座を受けた先生に「認定講師」という肩書を授与して、全国で料理教室をしてもらいました。

養成講座を作られるに当たっては、週末の料理教室やABCクッキングでの講師経験が活きたのでしょうか。

料理教室や料理講師の経験と、当時勉強していた資格の組み立て方が基盤になったと思います。結婚した頃、料理ができないというトラウマから資格をたくさん取りました。「料理 資格」とインターネットで検索して、どれがいいのか分からないので、時間にゆとりもあったこともあって、上から順番に10個くらい受けたと思います。そのとき勉強した知識や、資格の組み立て方、文章の構成や流れなどが役に立ちました。今思えば、自分の時間を自由に使えた、とても贅沢な時期だったなと思っています。

任意団体のファンクッキングラボに移行してからはどんなことをされていましたか。

先生たちが、お教室の写真や概要を掲載できるサイトを作って、ウェブ上での露出場所を作りました。それからリアルな場作りとして、講師会をしたり講師ツアー(工場見学・沖縄の食を体験ツアー)をしたりしていました。予算がついている訳ではないので、大きなことはできません。サイト管理を自分でしつつ、ある先生が「味噌の講座をやりたい」と言ったら一緒にやりたい他の先生を巻き込みながら「それやろうよ」と実践していく方式です。今の全国料理教室協会もですが、ゆるくつながっているサークルのような団体です。

資金がない中で、経営面ではどのように収益を上げていかれたのですか。

サイトを作る費用・運用に発生する費用は私の持ち出しでやっていました。私個人の仕事の受注先として作っていた、もう一つの会社の売り上げを使って笑。最初の3年くらいは経営的には赤字でしたが、ファンクッキングラボは従業員がいないので固定費がかかる訳ではありません。好きな人が好きな時に集まってイベントや講座をする。そこで出た収益をそのときにやったメンバーで分配するという任意団体です。先生たちがつながっていれば楽しいという認識で、私自身、仕事という感覚ではなかったです。現在も、社団法人なのでそこまで利益を上げようとは考えていないのですが、所属してくださる先生方が活躍できる場をもっと作っていきたいとは思うようになってきました。家庭と仕事とのバランスで、思い描いているところまでは全くできていませんが、夢は広がります。

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